戸定邸中庭

戸定邸の歴史

戸定邸は水戸藩最後(11代)の藩主、 徳川昭武(第15代将軍 徳川慶喜の弟)が松戸の別邸として作りました。大名の下屋敷ながら華美な装飾がされていないので、、自然に溶け込んでいるような佇まいです。しかし、最高級の杉の柾目材をふんだんに使い、旧大名の住まいにふさわしい重厚さと気品を備えています。一点豪華主義と言うと違う気もしますが、お金をかけるところにはかけるというのがはっきりしていて、徳川昭武のこだわりが感じられる屋敷です。同様に土台もしっかりしているので、後100年はもつ作りになっているそうです。
 
1884年(明治17年)に完成した後は、昭武の隠居生活の場として使われました。
明治30年代には昭武の実の兄である、元将軍徳川慶喜が何度か訪れ、共に趣味の
釣り、狩猟、写真撮影などを楽しんだそうです。
歴史館には当時昭武が撮った写真が、展示されています。
昭武の死後は息子の武定が住んでいましたが、1951年(昭和26年)に、建物と敷地が松戸市に寄贈されました。
 
多少の増改築はあったようですが、基本的には現在も当時の姿を保ち、庭園と共に千葉県指定の名勝となっています。 戸定邸自体は、2006年(平成18年)7月5日に国の重要文化財に指定されました。
 
上の写真は中庭の写真です。通常戸定邸の写真というと庭園から撮った写真が多いんですが、自分なりに色々なアングルから撮ってみて、自分の思う一番戸定邸らしいこの一枚に決めました。いかがですか?
左側の戸の奥に少しだけ、庭園が写っている部分が特に気に入っています。

慶喜電報

徳川最後の将軍、慶喜が愛した家

写真の中の片仮名で書かれた、
フツカ ニバン
ニテ マイル
サシツカエ ナキヤ
ヘンジ マツ
トクガワ ケイキ
という言葉は、兄である元将軍徳川慶喜が16歳年下の弟で、 戸定邸の主である昭武に宛てて送った電報にあります。
短い文章ですが、兄と弟がお互いの再会を楽しみにしている様子、兄は弟の返事を待ちながらお気に入りの弟の家への旅支度をしている、そんな光景が浮かんできました。
ちなみに日付は、明治34年5月30日となっています。西暦だと1901年。(思わず調べてしまいました)そんな昔から、電報ってあったんですね。
そして、戸定邸自体も今年で106歳。それなのに後100年はもつなんて・・・。強度計算もなかった時代のはずなのに。改めて日本古来の建築の技術の高さを知ると共に、最近の不祥事に関して考えさせられました。

富士山?

晴れた日には、富士山が見える!

天気が良い日には、戸定邸から富士山が見えます。
残念ながら、私自身とデジカメの問題(手ブレ)等で写真では確認できませんので、上下2枚の写真を合わせて見てください。上の写真中央少し左にうっすらと見える鉄塔の奥に、富士山が見えます。でも、実際自分の目で見るのが一番ですよね。是非一度見に来てください。

富士山
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